【予習シリーズ5年下 第6回】社会攻略ガイド

2026年9月18日

予習シリーズ社会5年下の進め方【四谷大塚の予習シリーズ5下第6回 鎌倉時代】【進塾】

予習シリーズ社会5年下の進め方【四谷大塚の予習シリーズ5下第6回 鎌倉時代】

〜幕府の成立・執権政治・元寇・御家人の困窮を政治の流れで整理する〜

進塾の四谷大塚の予習シリーズ対策ページにお越し頂きありがとうございます。
進塾では、四谷大塚の予習シリーズに則って学習している受験生を歓迎しております。
進塾と共に合格を目指しましょう!

1. はじめに:この記事を読んで得られるメリットと実戦力

予習シリーズ5年下第6回のテーマは「鎌倉時代」です。学ぶ内容が非常に多い単元で、大きく分けると、鎌倉幕府が成立するまでの流れ、成立後の執権政治、そして幕府が滅亡するまでという政治の3つの流れに加え、産業の発達、鎌倉仏教、鎌倉文化という別口の学習項目があります。まずは政治の流れを1本の線として押さえ、そこに周辺知識を肉づけしていくという学習の進め方が効率的です。

【本記事を読むメリット】
この記事を読むことで、源平合戦から鎌倉幕府の成立、承久の乱、元寇、御家人の困窮、そして幕府滅亡までの流れを1本の時系列としてつなげて理解できるようになります。あわせて、鎌倉仏教の開祖と宗派の対応関係、鎌倉文化の重要ポイントも具体的に押さえられます。

2. 鎌倉幕府の成立から執権政治、元寇まで

◆源平合戦から鎌倉幕府の成立へ

平氏が長らく力を持っていた状況に対し、後白河法皇の子である以仁王が全国に平氏打倒の命令を出したことをきっかけに、源頼朝が挙兵しました。最終的な決戦となったのが壇ノ浦の戦いで、この戦いで平氏は滅亡します。頼朝は弟の源義経の活躍もあって勝利しますが、その後、義経は頼朝と対立し、京都から追放されてしまいます。義経は後白河法皇に頼朝討伐を訴えますが、頼朝の勢いに押された法皇は逆に義経追討を命じることになり、義経は奥州藤原氏のもとへ逃げ延びました。頼朝は義経を追う口実で、守護・地頭を全国に設置する権限を得ます。これが1185年のことで、この年を実質的な鎌倉幕府の成立と見る説もあります。最終的に義経は奥州で自害に追い込まれ、頼朝が奥州藤原氏も滅ぼしたことで、対抗できる勢力がいなくなり、1192年、頼朝は征夷大将軍に任命されました。

🏛️ 鎌倉幕府の組織は「問注所」の出題率が高い

鎌倉幕府の組織には、侍所・政所・問注所という3つの機関があります。この中でも特に出題率が高いのが、裁判を担当する問注所です。守護は国ごとに置かれて軍事・警察を担当し、地頭は荘園・公領ごとに置かれて年貢の取り立てや警察の役割を担いました。将軍と御家人の関係は「御恩と奉公」という言葉で表され、将軍が御家人の領地を保護したり新たな領地を与えたりする「御恩」に対し、御家人は戦の際に将軍のために戦う「奉公」で応える、という主従関係が幕府の基盤になっています。

◆執権政治の始まりと承久の乱

頼朝の死後、2代将軍の源頼家はまだ18歳で、有力な御家人たちの反発を受けて排除されてしまいます。その背景には、頼朝の妻である北条政子の一族、北条氏の動きがありました。3代将軍の源実朝も12歳という若さで将軍となり、北条氏が幼い将軍を補佐する執権という地位について、実質的に政治を動かすようになります。これが執権政治の始まりです。

⚔️ 承久の乱は「北条政子の演説」がカギ

執権政治の中で最大の事件が、1221年の承久の乱です。後鳥羽上皇は、鎌倉幕府の存在によって朝廷の収入が減っていることなどを理由に幕府を敵視し、全国の武士に対して執権の北条義時を討てという命令を出しました。動揺する御家人たちに対し、北条政子が「頼朝公の御恩を忘れたのか」という趣旨の演説を行ったことで御家人の団結が強まり、幕府軍は上皇軍を撃破しました。後鳥羽上皇は隠岐に流され、京都には六波羅探題が置かれて朝廷の監視と西国の統治にあたることになります。その後、3代執権の北条泰時の時代に、武士のための初めての法律である御成敗式目が制定されました。

◆元寇と2度の襲来

13世紀、ユーラシア大陸ではチンギス・ハンがモンゴル帝国を築き、その孫のフビライ・ハンが中国を支配して元という国を建てました。元は日本に服属を求めましたが、当時の執権であった8代執権の北条時宗はこれを拒否し続けたため、元は日本への攻撃に踏み切ります。

🌊 文永の役と弘安の役は「元寇」でまとめて覚える

1274年の文永の役では、元軍が対馬・壱岐を経て博多に上陸しました。この戦いでは、御家人の竹崎季長が自らの活躍を描かせた絵が資料としてよく出題され、火薬兵器である「てつはう」が使われたことや、元軍が集団戦法をとったことが分かります。この戦いの後、博多には石塁が築かれました。1281年の弘安の役では、再び元が襲来しますが、暴風の影響もあって元軍は撤退しました。この2度の襲来をあわせて元寇と呼びます。

3. 御家人の困窮と鎌倉幕府の滅亡、産業・仏教・文化

◆御家人の困窮から幕府滅亡へ

元寇は防衛戦であったため、幕府は元から新たな領地を得ることができず、活躍した御家人に十分な恩賞を与えることができませんでした。また、御家人の土地は代々の相続によって分割されるうちにどんどん小さくなっていき、貨幣経済の広がりにも対応しきれず、御家人の生活は次第に困窮していきます。幕府はこれに対応するため永仁の徳政令を出し、御家人の借金を帳消しにしましたが、かえって御家人がお金を借りられなくなるなど、混乱を招く結果になりました。生活に困窮した武士の中には、土地を奪って売り払う悪党と呼ばれる者たちも現れ、幕府への不満が高まる中で、鎌倉幕府はやがて滅亡へと向かっていきます。

◆産業の発達:西日本が中心だった鎌倉時代

鎌倉時代には、牛馬を使って耕作する牛馬耕が広まりましたが、これは西日本を中心とした流行にとどまっていました。肥料としては草木灰が使われるようになり、稲の裏作として麦を育てる二毛作も、やはり西日本で始まりました。貨幣経済も発達し、宋から輸入された貨幣(宋銭)が使われるようになります。これにともない、月3回の定期市が寺社の前や港などで開かれるようになり、商品の保管や運搬を請け負う問丸や、同業者の組合である座も現れました。

◆鎌倉仏教:6人の開祖と宗派をセットで覚える

鎌倉仏教の特徴は、分かりやすい教えによって一般の民衆にも広く信仰が広まったことです。6人の開祖と宗派の組み合わせは必ず押さえておく必要があります。

🙏 6人の開祖と宗派の対応

法然は浄土宗、親鸞は浄土真宗(法然の弟子にあたります)、栄西は臨済宗、道元は曹洞宗(栄西と道元はいずれも座禅を組む禅宗の系統です)、日蓮は日蓮宗、一遍は時宗を開きました。この6人と宗派の組み合わせが最低限のラインで、余裕があれば、それぞれの教えの中身(浄土宗・浄土真宗は念仏を唱えること、臨済宗・曹洞宗は座禅による修行、日蓮宗は題目を唱えること、時宗は踊念仏)まで踏み込んで覚えておくと、より高いレベルの出題にも対応できます。

◆鎌倉文化:素朴で力強い文化

鎌倉文化は、素朴で力強いことが特徴とされる文化です。建築では東大寺南大門が有名で、そこに収められている金剛力士像は運慶らによって作られました。文学では、和歌集の新古今和歌集、軍記物の平家物語、随筆の徒然草・方丈記といった作品名を押さえておきましょう。

4. まとめ・解説動画(タイムスタンプ付き)

鎌倉時代は、源平合戦→鎌倉幕府の成立→執権政治(承久の乱・御成敗式目)→元寇→御家人の困窮→鎌倉幕府の滅亡、という政治の流れを1本の線として押さえることが最大のポイントです。そのうえで、産業の発達、鎌倉仏教の6人の開祖と宗派、鎌倉文化の代表作という別口の知識を肉づけしていくと、全体が効率よく整理できます。

📺 動画インデックス:各回の解説へ直行

以下の「▶ 再生開始」ボタンをクリックすると、それぞれの回の社会の解説が始まる秒数から直接再生されます。お子様の復習や、家庭学習での親御様の確認にぜひご活用ください。

学習回主なテーマ解説を再生する
第6回 鎌倉時代 ▶ 再生開始 (19:38〜)

※YouTubeアプリまたはブラウザが起動し、指定の時間からご視聴いただけます。

赤羽で学習塾をお探しなら

会社名
進塾
住所
〒115-0055 東京都北区赤羽西1‐39‐1伊藤ビル3階
電話番号
03-5924-7747
URL
http://susumujuku.com