2026年7月26日
【予習シリーズ5年下 第2回】社会攻略ガイド
進塾の四谷大塚の予習シリーズ対策ページにお越し頂きありがとうございます。
進塾では、四谷大塚の予習シリーズに則って学習している受験生を歓迎しております。
進塾と共に合格を目指しましょう!
目次
1. はじめに:この記事を読んで得られるメリットと実戦力
第2回の社会は、古墳時代から飛鳥時代にかけての大きな政治の流れを扱います。古墳時代は氏姓制度の細かいところまで理解しようとすると大変ですが、基本的な用語をしっかり答えられるようにしておけば十分に対応できます。一方、飛鳥時代は「聖徳太子の政治→大化の改新→白村江の戦い→壬申の乱→藤原京」という流れをひとつなぎのストーリーとして押さえ、そこに周辺知識を加えていくやり方が効果的です。
【本記事を読むメリット】
この記事を読み込んでいただくことで、稲荷山古墳と江田船山古墳から「ワカタケル大王」の名が刻まれた鉄剣が出土したという事実が、なぜ大和政権の全国支配の証拠になるのかという理由まで含めて理解できます。また、蘇我氏と物部氏の対立から大化の改新に至る一連の権力闘争の流れ、白村江の戦いの敗北が国内の防衛政策にどうつながったかという因果関係も、ストーリーとして頭に入れることができます。古墳文化・飛鳥文化はよく出題される一方、白鳳文化は高松塚古墳の壁画さえ押さえておけば対応できるという、時代ごとの学習の濃淡もあわせてお伝えします。
2. 古墳時代:大和政権の誕生と全国支配の証拠
古墳時代を象徴する遺跡が、大阪府堺市にある大仙古墳です。仁徳天皇陵とも呼ばれるこの巨大な古墳は、天皇の墓として当然の大きさとも言えます。古墳と言えば「埴輪」もセットで覚えておきたいポイントで、人の形をした埴輪だけでなく、家や船、馬をかたどった埴輪も存在します。
古墳文化:豪族の墓と前方後円墳
弥生時代の終わりにかけて、日本国内にはたくさんの「国」ができ、その頂点に王様が君臨するようになりました。この王様たちはいわゆる豪族と呼ばれる人々であり、その豪族たちの墓として登場したのが「古墳」です。古墳にはさまざまな形がありますが、日本で最も代表的なのが前方後円墳です。古墳がたくさん作られた時代であることから「古墳時代」と呼ばれ、3世紀後半から7世紀ごろまで続きました。天皇や豪族の大きな古墳だけでなく、小さな古墳も数多く存在し、そこには埴輪のほか、鏡や玉、剣といった副葬品も収められていました。
大和政権の誕生と、氏姓制度の最低限のポイント
弥生時代の国同士の争いを経て、ある程度のところで人々は争いをやめ、連合しようという流れが生まれます。これが大和政権です。大和政権が成立したのは、今の奈良県にあたる大和地方でした。豪族同士の連合の中でも、最もリーダー格の人物を「大王(おおきみ)」にしようという動きがありましたが、この頃の大王は、今の天皇のような絶対的な存在というよりは、部活で言うところのキャプテンのような、リーダーの中の兄貴分といった感覚に近いものでした。
⚠️ 稲荷山古墳と江田船山古墳が重要な理由
大和政権がどこまで支配していたのかを示す証拠として重要なのが、埼玉県の稲荷山古墳と、熊本県の江田船山古墳です。この2つの古墳からは、共に「ワカタケル大王」という当時の大和政権のトップの名前が刻まれた鉄剣が出土しています。つまり、埼玉県から熊本県まで、同じ大王の支配が及んでいたことがわかるため、この2つの古墳は大和政権の支配の広がりを示す重要な証拠として押さえておく必要があります。
大和政権の仕組みとして「氏姓制度」がありますが、これを詳しくやるとかなり難しく、中学受験でもそこまで詳しくは出題されません。最低限理解しておきたいのは、当時の豪族には「氏(うじ)」と呼ばれるグループ名がついており、例えば「蘇我氏」のように、グループ名に「氏」をつけて呼んでいたという点です。そして、そのグループには「姓(かばね)」と呼ばれる仕事の役割が与えられていました。蘇我氏の場合は財政関係の仕事を担っていたとされています。
渡来人と大陸文化
渡来人とは、日本に渡ってきた人々のことで、主に中国や朝鮮半島から来ました。当時は日本よりも中国・朝鮮の方が文化的に進んでいたため、様々な知識や先進技術が日本にもたらされました。例えば、儒教のような道徳の考え方も渡来人によって伝えられています。仏教も渡来人によってもたらされましたが、これは朝鮮半島の百済から伝わったという点が重要です。当時の朝鮮半島は複数の国に分かれていましたが、百済とは仲が良く、そこから仏教が伝わってきました。渡来人がもたらした技術としては、須恵器や機織りなどが優先順位の高いポイントです。
3. 飛鳥時代前半:聖徳太子と推古天皇の政治
氏姓制度の中でも特に力を持っていたのが蘇我氏と物部氏でした。この2つの氏族が対立するのですが、その理由は仏教を受け入れるかどうかでした。仏教マニアだった蘇我氏は仏教を受け入れる立場、物部氏は反対の立場を取り、この争いに蘇我氏が勝利します。蘇我氏はこの勝利によって政権内で力を持ち、自分の一族の人物を天皇に据えました。それが推古天皇です。
聖徳太子の政治:摂政・冠位十二階・十七条の憲法
推古天皇は女性であったため、その代わりに政治を行う「摂政」という職に就いたのが聖徳太子です。聖徳太子は、蘇我氏の一族である蘇我馬子と協力して政治を行いました。聖徳太子の政治として重要なのが、能力のある人物を役人として取り立てる「冠位十二階」です。それまでの世襲制度に代わり、ランクをつけて人材登用を行う仕組みが作られました。また、役人が守るべきルールとして「十七条の憲法」が定められました。「和を以て貴しとなす」「仏教を敬え」「天皇の命令に従え」といった基本的な内容が定められています。
💡 「日出づる処の天子」に込められた意味
聖徳太子のもう1つの重要な政治として、遣隋使の派遣があります。当時の中国は「隋」という国名でした。この隋に日本から役人を派遣し、政治の仕組みや文化を学ばせようとしたのが遣隋使であり、その代表として選ばれたのが小野妹子です。小野妹子が携えた手紙には「日出づる処の天子」という一文があり、これは日本のことを指しています。一方で「日が沈むところの天子」は隋のことを指しており、これが隋の皇帝(煬帝)を怒らせたと言われています。自分の使者にこのような手紙を持たせるあたり、聖徳太子はなかなか大胆な人物だったとも言えるでしょう。
4. 飛鳥時代後半:大化の改新から壬申の乱、そして白鳳文化へ
聖徳太子も蘇我馬子も人間である以上、いつかは亡くなります。その後、蘇我氏は一族でさらに力を持つようになり、日本書紀の記述によれば、やりたい放題の政治を行うようになったとされています。この蘇我氏の政治に対する不満が高まっていきました。
大化の改新と公地公民
この不満を何とかしようと立ち上がったのが、当時皇太子であった中大兄皇子と、中臣鎌足の2人です。この2人が協力して蘇我氏(蘇我入鹿)を滅ぼしました。この一連の改革の流れを「大化の改新」と呼びます。改革の中心となったのが「公地公民」という考え方で、それまで豪族や天皇が私的に持っていた土地を、一旦すべて国のものにするという政策でした。
白村江の戦いと、防衛強化のための施設
中大兄皇子はなぜか天皇にはならず、皇太子のまま政治を行いました。その中で最も大きな出来事が、663年の「白村江の戦い」です。日本と仲の良かった百済が、朝鮮半島のもう1つの国である新羅に滅ぼされそうになり、日本に助けを求めてきました。中大兄皇子はこれに応じて百済を助けるために戦いを挑みますが、新羅だけでなく唐(中国)も参戦していたため、日本は敗北してしまいます。
この敗北によって、いつ攻めてこられるかわからない状況になったため、日本の防衛を固める必要が生まれました。そこで大宰府や山城、水城といった防衛施設が整備されました。この後、中大兄皇子は日本に帰り、天智天皇として即位します。天智天皇の政治としては、白村江の戦いのほか、全国で初めて本格的な戸籍を作ったことが重要なポイントです。
壬申の乱と、天武・持統天皇の政治
天智天皇が亡くなると、後継をめぐって息子の大友皇子と、弟の大海人皇子との間で争いが起こります。これが672年の「壬申の乱」です。この争いに勝利した大海人皇子が天武天皇として即位しました。天武天皇の頃に、今の「日本」という国号が使われるようになったとされています。また、日本最古の貨幣とされる「富本銭」が作られたのもこの頃です。天武天皇の後を継いだのが、その妻である持統天皇で、奈良県の飛鳥の南に「藤原京」という本格的な都を建設したことで知られています。
この時代の文化としては「白鳳文化」がありますが、覚えることは1つだけと考えて差し支えありません。「高松塚古墳の壁画」だけを白鳳文化の代表として押さえておけば十分です。
5. まとめ・解説動画(タイムスタンプ付き)
第2回の社会は、「聖徳太子の政治→大化の改新→白村江の戦い→壬申の乱→藤原京」という一連の政治の流れを、一本のストーリーとしてつなげて覚えることが最大のポイントです。古墳時代の氏姓制度は細部にこだわらず基本用語を、飛鳥時代は事件の因果関係を意識しながら学習を進めましょう。古墳文化・飛鳥文化はよく出題されますが、白鳳文化は高松塚古墳の壁画だけを押さえておけば十分です。
📺 動画インデックス:解説へ直行
以下の「▶ 再生開始」ボタンをクリックすると、社会の解説が始まる秒数から直接再生されます。お子様の復習や、家庭学習での親御様の確認にぜひご活用ください。
| 学習回 | 主なテーマ | 解説を再生する |
|---|---|---|
| 第2回 | 古墳時代・飛鳥時代 | ▶ 再生開始 (28:04〜) |
※YouTubeアプリまたはブラウザが起動し、指定の時間からご視聴いただけます。
赤羽で学習塾をお探しなら
- 会社名
- 進塾
- 住所
- 〒115-0055 東京都北区赤羽西1‐39‐1伊藤ビル3階
- 電話番号
- 03-5924-7747
